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玉響物語「YURA」〜静かな海〜

序章 はじまり

 煙るような霧雨に早朝よりその村は包まれていた。その村は、四方を森で囲まれ、他の村との交流もなく、街道からも遠く離れていた為に村によそから人間が来る事はほとんどなかった。数年に一度、旅人や行商人が獣に追われ村に逃げ込んでくる事もあったが、その者達ですら、再びこの村に足を踏み入れることは出来なかった。その神秘性と、独特の衣装に身を包みどこか優美な雰囲気を持つ村人の様子から「龍の血脈をひく村」と呼ばれるようになったのも当然だったのかもしれない。
その日は、村中が沸きかえっていた。それというのも、この地はひと月以上雨に恵まれていなかったのである。今まで、この村において日照りによって作物が育たないという事はなく村の誰もが、そのような事態を聞いた事すらなかった。だからこそ他の村と交流を持たずともやって来られたとも言えよう。その為、雨が降らないことを本気で心配していた者など最初は全くいなかったのであるが、さすがにひと月も雨が降らずに作物がしおれていく様をみせられると心配せずにはいられなかったのである。そんな中での雨、それだけでも村人達の気持ちを高揚させるのには十分であったのだが、むらおさであるハルの娘、りんの初めての赤ん坊がいよいよ産まれそうだとの話も流れ、村は二重の喜びに包まれていたのである。

ハルの家には早朝より密かに長老衆が集められていた。
「しかし、にわかには信じられん話ぞ。またハルじいお得意の夢ではないのか?」
ハルの話を聞いた長老衆の一人が笑いながら言った。長老衆はからかうようにハルを見るが、ハルは眉すら動かさずに静かに言葉を続けた。
「そう思いたい気持ちも分かるが、今日が約束の三日目。この天候に加え、りんの様子……疑う余地はあるまい……」
「それはそうだが……」
「時が経てば、明らかになる。今しばらく、待たれよ」
静かに告げたハルの言葉に一同は頷く。
「だがよ、ハルじい。伝承の通りだとして、その約……」
「そうじゃ、だからこそ出来る出来ぬではなく、わしらはやらねばならんのだ、やらねば……。」
ハルも長老衆もそれ以上言葉を続けることが出来ずに黙り込んでしまった。



――三日前、早朝の事――

ハルは灯りを消し、床についたものの眠れずにまんじりとしていた。寝返りをうち、半身をもたげ、また横になる……。 ――前の雨より数えて今日で四〇日か……。井戸も川も目に見えて水かさが下がっておる。朝夕の祈りも、所詮は真似事、通ずるわけもないか……。雨どころか、雲ひとつ現れぬし……一体、どうしたものか……。
ハルはそんな事を考えながら、起き上がり、障子を開け夜空を見上げた。

――この月の明るさでは、明日も雨は望めぬか……。もう十日……いや七日も雨が降らねば井戸も川も枯れてしまうやも知れぬ。
 ハルは、障子を閉め再び床につき眠れぬ眼を無理やり閉じたのだった。

 どの位そのような時を過ごしただろうか。ようやく眠りにつくかつかざるかの刹那、ハルは突然、目の前に何者かの気配を感じ、目を開いた。半身を上げ、部屋の中を伺うが物音一つなくシンと静まり返っていた。気のせいかと周りを見渡すと、月明かりで障子にゆらゆらと薄い影が揺れていた。
「そこにおるのは何者ぞ!」ハルの言葉にも影は何も答えず、ただ揺らいでいた。
「誰ぞ、おるのか!」ハルがさらに声を荒げ問うと、突然影は動き出し、障子をすり抜け部屋の中へと入ってきた。ハルは助けを呼ぼうと声を出そうとするが、声が出ない。立ち上がり後ろに下がろうとするが、体も全く動かない。
 その時、影が急に動き出し、障子をすり抜け、一瞬にしてハルの目の前に立ちふさがった。目の前にいるはずなのに、一向にはっきりとした姿形は確認できず、相変わらず揺らぎながら影は重く沈みこむような声を上げた。
「雨が欲しいのか?」
ハルは、未だ口を開くことは出来ずに唯一動く事を許された頭を大きく縦に振った。影は、そんなハルの様子を見ているかのように更に言葉を続けた。
「そなたの娘は、子を身籠っておるな?」ハルは再び頭を縦に振った。
「今より三日の後、この地の雨が訪れよう。それと同じくして、そなたの娘が子を産むであろう。その子が十八の歳になるまで育てよ。さすればこの地は、この後百年の間、雨に困ることはなかろう……」 「ちょっと待って下され!」ハルはようやく口を開けるようになり慌てて叫んだものの、影の揺らぎは一層大きくなり、色も薄くなり始めていた。
「娘は長きこと子宝に恵まれず、ようやく授かった子でございます。その子が娘の子ではないとなれば、娘は……」 「ならば、そなたの娘の子として育てれば良かろう……ただ人より長く生きるだけのこと。さして問題はあるまい……この約の証として、子には玉を持たせよう……」影はそう言い残し消えて行ってしまった。
 ハルは立ち上がることすらできずに、ただ呆然と、その場に座り込んでしまった。



長老衆の一人、リクはハルに問うた。
「しかし、十八の歳になるまで育てるとの約なぞ、交わして本当に良かったのか?」
「しかたあるまい。わしには否とも応とも応えることすら出来なかったのだから……。それにこのまま雨が来なければ村はどのみち滅んでしまう。約さえ達せられれば、村は守られ龍神の加護さえも手にできるのだぞ!」
「それは分かる、分かるのだが、約が達せられなければ、龍神様の怒りを買う事は必至ぞ」
「ならば、どうすれば良かったのだ?断れば良かったのか?……龍神様に刃向うなぞ、わしには出来ぬ」
そんな二人の会話を、長老衆は神妙な面持ちでただ聞いていた。ところが一人だけ不思議そうな顔でそんな様子を見ていた男がいた。この夏より長老衆に加わったばかりのレンである。
「思うんじゃが、もし、ハルじいの言う通り龍神様のお告げなのだとすれば、何をそんなに心配しておるのだ?なにせ龍の子ぞ?そうたやすく病やら怪我やらをするとは思えん。例えしたところで、命を落とすようなことはあるまいて」明るく言い放ったレンの顔に長老衆の視線が集まった。レンは驚いて
「何ぞ、わしは可笑しなことでも言うたか?」リクがその問いに答えるように呟いた。
「知らんか……そうか、知らんのか……」
「何をぞ?」リクは、独り言の様に語り始めた……。

――この村には古よりの言い伝えがある。今ではそれを知る者も大分減ってしまったようだが……
「千年に一度、龍は生まれ変わり、その子をある時は海に、またある時は森にと託す。龍の子は、十八の歳までその中で育ち、十八の歳にその力が目覚める……」

「待ってくれ、では十八までは人として育つというのか!?その前に命を落としたら一体、どうなってしまうのだ!?」レンは声を荒げた。

――「海は凍り、森は燃え尽きる……」

「なんと……如何するのじゃ!?そんな約、守れるかどうかなぞ分からぬではないか!鷹はおる、狼はおる。例えそれらから守れたとしても病からは守れぬぞ!何故、なにゆえにそのような約を……!」
「所詮は伝承じゃ……真かどうかは分からぬ」
しばらく黙って聞いていたハルは、その重い口を開いた。
「まこと伝承どおりの龍神様の子であれば、神通力で不老不死の上、先読みの力を持つと聞く。先読みが出来るのであれば、我らは今までとは比べ物にならぬくらい、暮らしやすくなろうぞ……それも永遠にだ。しかし、他方ではその力を利用せんとするものが現れぬとも限らぬ。各々方、どうかこの話は他言無用で頼みまするぞ」ハルの言葉に長老衆は黙って頷いた。

 そこへ長老衆の集まっている部屋へと続く廊下を慌ただしく駆けてくる音が響いた。
「ハルじい!生まれたぞ!元気な女の子じゃ!」
 どよめく長老衆に向け、更に言葉が続いた
「それでな……女衆の話では……」
「なんじゃ?そんなに不思議そうな顔をして……いいから申してみよ」言い難そうにしている男に、ハルが促す。



「それがな……何やら、玉のようなものを握りしめていたそうじゃ……」



カーテンから差し込む光で薄目を開けたところにちょうど目覚まし時計が鳴り始める。
――朝か……。
目覚まし時計を止め、カーテンを開けると予想以上の日差しに驚いた。
――また、同じ夢……。
実際には、見る事の出来なかった風景。もう覚えていないくらい前に亡くなった祖父の夢だ。起き上がり髪を束ねると何かが籠ったような音で鳴っている。
――ん?……ああ、携帯か……
そう思いながら電話をとる。
「もしもし、ユラ?寝てた?……」
――朝一にはちょっと騒々しいけど、目ざましには丁度良いかな?
そんな事を考えながら携帯を片手にキッチンへと向かった……。

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